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素敵なキラキラ兼業主婦?……ナニソレオイシーノ??

「女子」のまま時間が過ぎ行くと、クソババアになるかもしれない

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今さらながら何でも「女子」をつける風潮ってアリ?メディア関係者が溜め込んだモヤモヤを吐露&大激論|News&Analysis|ダイヤモンド・オンライン

 

何でも「女子」を付けることについては、もはやどっちでもいいような気がしている私です。

 

 

こんばんは。食べすぎで腹が苦しくて、休日出勤しているのに、仕事が終わらなそうなので、ブログに逃避している次第でございます。

 

「○○女子」っていうのはもはや記号みたいなものだからいいと思うんだよね。キャッチコピーとしておさまりがいいっていうのもあるんだろうし。

 

でも、その「いいと思う」っていうのは、他者があるカテゴリーに属する女性を「○○女子」としてまとめて、話をすすめるということに限定されるんだけどね。

 

これを、自分で「私って○○女子だから」って自称する人はどうなのかと思ってるのよ。

 

そこで先のリンクより、気になる部分を抜粋。

『女性としての意見』『女性の立場』など、性別を限定する場合は『女性』を使えばいいかと思いますが、そこでわざわざ『女子』を使っているのを見ると、『女子だから大目に見てほしい』『女子だからちょっと下駄を履かせてほしい』といった、図々しさや甘えを感じます。『そんなつもりで使っているのではない』という人がいたとしたら、言葉に対する鈍感さを感じるし、きっとあらゆることに無神経な人なんだろうなと思います

「女性は一人前のおとなといったイメージがあるけれど、女子というと、甘えた、無責任な、保護されるという感じがする。ウーマンパワーと聞くとちょっと引くが、女子力と言われてもおびえないでしょう。かわいいことが最大の評価になるから、女子が流行するんですね」という説も。

そうなのよ。ここに書いてあるような感じで、「女子」を自称する人は、昔からある「女子ども」というミソッカス表現を免罪符に、大人らしさから外れようとするのを感じるんだよね。無意識なんだろうけれど。

 

兼ねてから気になっていたことなんだけれど、なんだかよくわからない理由であらゆる責任から逃れようとする妙齢の女性にたまに遭遇するんだよね。

 

その逃れる理由というのが

 

「うーん。わかんない!(のでやりません)」とか、

「すごーい!(じゃあ、あとよろしく)」とか。

 

仕事上の話ばっかりだけど。

その瞬間、私の脳裏に「このクソババア」というきったない言葉が張り付くのです。

 

たいしたことじゃないから、そこまで言わんでもと我ながら思うんだけど、積もり積もるとなかなかストレス。とにかく自分でなんとかしようとしないんだよね。

 

で、私が立てた仮説なのですが、この種の方々はきっと「女子」として、かつては君臨されてきた方々なのだろうと。

 

かつて、若くてかわいいという理由でちやほやされてきた「女子」。

男性は困っている「女子」を助けることがつとめと思っている方も多いようなので、需要と供給はなりたっていますね。

ですが、若くてかわいい時期をすぎると、周囲が一人の大人の女性として扱いたいのに、本人はいつまでも「女子」のつもりなので、「なに甘えたこと言ってるのか」となるわけです。

 

むちゃくちゃなことを言って、なんとかしようとする「クソババア」はもしかしたら、とっても「女子」なのかもしれないなぁ。と、常日頃思っていたところでした。

 

先のリンクには 

「『女性』や『レディー』『マダム』といったことばと比べ、『女子』は色がついていないことば」

 と、あったけど、色のついていない言葉を使いつつ、性別を武器に主張を通したり、甘えたことを言ってくるっていうのは、矛盾していないかと。

 

超一部の、しかも個人的恨みがある人限定だから、「女子」っていう人、みんながみんな「クソババア」に昇格するとは考えてないけれど、都合のいい使い方が氾濫しないことを願うよ。

 

私も「クソババア」にならないように、「レディー」とか「マダム」を目指したいと思います。